jpg NEO Sense of Horse Life ホクトベガ

ホクトベガ

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1993エリザベス女王杯

                牝 鹿毛 1990年03月26日生 北海道浦河産
                 父 ナグルスキー 母 タケノフアルコン
             父の父  ニジンスキー  母の父 フイリツプオブスペイン


ホクトベガは、私が 「Profile」 のなかで、好きな「 競技者 」として掲載している
今は亡き牝馬です。

私が、彼女に魅かれたのは、(旧)4歳牝馬クラッシックのうち、
秋の「エリザベス女王杯」を制した1993年の秋からです。

その時、私は南米パラグアイに赴任したばかりでした。  
滞在先の日系人経営のホテルロビーに置かれている、
日本のスポーツ新聞でレースの結果を知りました。

このレースを制したホクトベガは、
「 ベガはベガでもホクトベガ 」という、
今でも語り草になっているアナウンサーの実況で有名な
彼女の同期の「 ベガ 」の3冠を阻止したことで、一気に注目されたのです。

日本から定期購読していた 「 優駿 」という月刊誌を食い入るように読みました。
彼女の競走馬としての血統や生産牧場など、とても地味な印象の馬が、
こんなふうに活躍してくれたことで、
遠く日本を離れていた私に元気をくれたことを思い出します。

( 旧 )4歳牝馬の頂点の座まで登り詰めたホクトベガ。
でも、その後、なかなか勝てず、やっと(旧)5歳夏、二つのレースを勝利したのですが、
このうちの札幌記念の勝ち鞍が、その後、ダートで活躍していく彼女の、
芝での優勝の最後になりました。

その後の不振により、一度はなんと障害競走にも出場させられそうになったんですが、
(旧)6歳最初のレースとなるAJCCの2着という結果をもたらし、
平地での現役続行となりました。

パラグアイから帰国後の秋、1995年10月8日の「 毎日王冠 (GII)」のレースで、
最初で最後の彼女の実際の走る姿を観ました。

雨の中のレース。 

それからの彼女ですが、芝のレースより、
地方競馬交流試合を含め、ダートでの圧倒的な強さで快進撃を続けました。

特に、1996年2月17日 フェブラリーステークスのレース。
雪の降る寒い東京競馬場のダートコースを、先頭で駆け抜けた彼女の貫禄の走り。
牡馬を尻目に、白い息を吐きながら、猛然とゴールする姿は、
ものすごくかっこよかったのです。

ダートでは、本当に負け知らず。

「 砂の女王 」と呼ばれた彼女は、
有終の美を飾るべく引退レースとして、海外遠征を選びました。
無事に遠征が終了すれば、引退して繁殖牝馬への道が保障されていたのです。

アラブ首長国連邦 ドバイで開催されたダートの世界一の舞台、
「ドバイワールドカップ」。

しかし、彼女は二度と日本の土を踏むことなく、
レース中の事故で安楽死の運命に泣きました。

1997年4月3日 (満)7歳の春でした。

我が家の仏壇に、両親の写真と一緒に、彼女のテレホンカードを飾っています。
牡馬に混じって走り続けた彼女の「 強い走り 」のその生涯を
私は、ずっと忘れないでおこうと思うのです。

( ホクトベガの墓は、生まれ故郷の酒井牧場にあります。
  検疫の関係で、骨は持ち帰れず、たてがみの一部を日本に持って帰ったそうです。)

( 2004年8月13日記 )

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生産者 酒井牧場
調教師 中野隆良(美浦)
主戦騎手 加藤和宏
横山典弘
競走成績 中央32戦7勝 地方9戦9勝 海外1戦0勝
総獲得賞金 9億2812万6,000円
表彰項目 1996年 JRA賞最優秀ダートホース
NARグランプリ特別表彰馬

主なレース成績
1993年 エリザベス女王杯 (GI) 1着
1993年 フラワーカップ (GIII) 1着
1994年 札幌記念 (GIII) 1着
1996年 フェブラリーステークス (GI) 1着
1997年 ドバイワールドカップ 中止

1997年4月3日没

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