jpg NEO Sense of Horse Life 2017年04月02日

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ミホノブルボン

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1992皐月賞

               牡 栗毛 1989年04月25日生 北海道門別産
          父 マグニチュード 母 カツミエコー 父の父  ミルリーフ  母の父 シャレー



故戸山為夫調教師が創り上げた「 坂路の申し子 」ミホノブルボン。
「 栗毛の超特急 」 ミホノブルボン。

ブルボンの父は マグニチュード 、 母は カツミエコー、そして 母の父 シャレー。
母系を見ると、特筆すべき血統ではありませんでした。

どちらかといえば地味。

そんな二流の血を跳ねのけるべく、ものすごいハードトレーニングを課せられ、
心肺機能と四肢の筋力を極限まで鍛え上げられた馬。

それが、ミホノブルボンでした。

私が彼を初めて観たのは、皐月賞のレース。

テレビの画面に映し出される鍛え上げられたミホノブルボンの、
繰り出す前肢の筋肉のその躍動美。

私は、彼の走る姿を観てから、競走馬の美しさに魅了されたのです。
私が競走馬、競馬に傾倒するきっかけになった馬です。

北海道の家族が細々と経営する、零細牧場から生まれた奇跡の馬。

既に癌に侵されていた戸山調教師の信念 「 鍛えて最強馬を創る 」、
そして、鞍上の小島貞博騎手の40歳にして悲願のクラシック制覇を現実のものとした
ブルボンの走る姿は、
その後の私の人生に、大きな影響を与えてくれました。

競馬という世界に、馬を取り巻く様々な感動的なドラマがあることを知りました。
走る馬の姿を見ていると、自然に前向きになれ、
自分の人生の挫折を吹き飛ばしてくれました。

明日の希望さえ失い、パラグアイに赴任することになった、
大失恋の傷心の私を救ったのも、
この競走馬たちでした。

そのきっかけを作ってくれたミホノブルボンの存在。

それから、私の日曜日は、午後3時と深夜、テレビの競馬中継のある時間は、
必ずTVの前に座ることになるのです。

スプリンターの血のブルボンは、
世間の「距離の不安」説を吹き飛ばし、皐月賞、ダービーを見事に逃げ切って、
圧倒的な勝ちっぷりで、 (旧)4歳クラシック二冠を手中にしました。

そして、迎えた秋のクラシック。
ミホノブルボンは、シンボリルドルフ以来の無敗三冠馬誕生の期待を一身に受けて
菊花賞に臨みました。

菊花賞のレースは、3000m、ブルボンの未踏の距離です。
しかし、
「関東の黒い刺客」ライスシャワーのステイヤーの血の前に、
ゴールまであと残り100mというところで、
その夢を断たれてしまいました。

1馬身3/4差、ライスシャワーのレコード勝ちの2着でした。
京都競馬場を埋め尽くしていた観客から、悲鳴があがりました。

この時の私にとっては、ライスシャワーの存在が、ただただ憎らしいだけでした。
クビを低く下げ、風のようにブルボンの後方から不気味に詰め寄る黒い小柄な彼の姿。
それと対照的に、首を高く上げたまま走るブルボンは、
道中、舌を出して、ちょっと苦しそうに見えたのです。

やはり、3000mという距離の壁か。。。

故・戸山調教師は、

「 いくら鍛えても、この馬の本質を変えることはできなかった。 」と、

血統からくる距離の壁という敗戦の弁を語っていたそうです。

菊花賞のレース後、故障が続き、ブルボンは古馬となって活躍することなく
ターフを去っていきました。

種牡馬になってから、なかなか活躍馬が排出されないブルボン。。。
やっぱり、あなたは、信念の人、戸山調教師がつくった 
最初で最後のサイボークだったのかなぁ 。。。

( 2004年8月8日記 )

  

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生産者 原口牧場
調教師 戸山為夫(栗東)
松元茂樹(栗東)
主戦騎手 小島貞博
競走成績 8戦7勝
総獲得賞金 5億2596万9,800円
表彰項目 1991年 JRA賞最優秀3歳牡馬
1992年 JRA賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬

主なレース成績
1991年 朝日杯3歳S(GⅠ) 1着
1992年 スプリングS(GⅡ) 1着
1992年 皐月賞(GⅠ) 1着
1992年 東京優駿[日本ダービー](GⅠ) 1着
1992年 京都新聞杯(GⅡ) 1着
1992年 菊花賞(GI ) 2着


1994年引退 種牡馬として繋用。
         ◎繁用先 :
           日高軽種馬農業協同組合 門別種馬場
         その後、生まれ故郷である日高町のファニーフレンズファーム(旧:原口圭二牧場)
         で繋養。
2012年11月1日  種牡馬生活も引退。      余生を送っていた。。。
2017年2月22日  午後6時 老衰のため死亡。
     

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