jpg NEO Sense of Horse Life 2006年02月01日

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ビワハヤヒデの引退


ビワハヤヒデと岡部騎手 1993
写真提供:RACINGFIELDS.com


北海道、日西牧場で、種牡馬生活を送っていた93年菊花賞、年度代表馬、
ビワハヤヒデが引退というニュース。
びっくりしたとともに、とうとうか・・・という寂しい思いが複雑に交じり合って胸を駆け巡りました。

ビワハヤヒデは、その現役時代、私にとっては、本当に愛すべき馬でした。  
愛嬌のある風貌と優等生的なレース振りから、春のクラシックロードは、シルバーコレクターに甘んじていたハヤヒデ君。 
そういう彼が一皮向けたのは、主戦騎手だった引退した岡部騎手(オカベ先生と”彼”、ビワハヤヒデは呼んでいたように思う・・・笑 )が進言してトレードマークの赤いメンコを(文字通り)脱いで臨んだ、菊花賞前哨戦の神戸新聞杯からでした。 
そして、逞しく変身した彼は、クラシック3冠目の菊花賞を見事に制覇したのです。
私は、この記念すべき彼の悲願の菊花賞のレースを、遠く地球の裏側のパラグアイで知ることになりました。
その年の10月末から、仕事でパラグアイに滞在中だったからです。
気になる彼の秋のこのレースを、リアルタイムで見ることはできなかったけれど、本当に嬉しかったのを覚えています。 
パラグアイの日系ホテルに毎日届く、スポーツ新聞の記事を読んで小躍りしました。
そのくらい、ビワハヤヒデのことは応援していた馬だったのでした。
しかし、その後のトウカイテイオーとの世紀のマッチレースの有馬記念も、 
古馬になってからのハヤヒデの活躍も結局この眼で見ることはかなわず、
私の帰国を待たずに彼は引退してしまいました。

「 気の向く馬馬 」のぜあみさんが、書かれていましたが、
彼は、母パシフィカスの持ち込み馬で、福島の早田牧場本場生まれです。 
その後の早田牧場の運命を知るにつけ、
彼の父系のマイナーな血統のせいもあり、なかなか産駒にも恵まれずに種牡馬生活を送っていたビワハヤヒデが、日西牧場で余生を過ごすことができるということに、安堵の気持ちでいっぱいです。

我が家には、そのビワハヤヒデのトレードマークだった赤いメンコをつけた94年宝塚記念レースの馬番13番の鞍をつけたぬいぐるみが飾ってあります。

彼も今年16歳という年を重ね、もうそんなになるのか・・・という感慨深い思いに襲われます。 
でも、私にとっては、お顔の長いお茶目なハヤヒデ君という3歳のままの彼がずっと心に残っています。 
3冠馬ナリタブライアンの”アニキ”としてではなく、やはり岡部騎手を”センセイ”と呼ぶ、律儀な優等生のハヤヒデ君として、いつまでも愛すべき馬として、この先も私の心の中では、ずっと可愛いビワハヤヒデ君のままでいるのでしょう。

こうして、記事を書き進めていくうちに、結局、私は彼を生で見たことがなかったということに気がつき、今すぐにでもハヤヒデに会いに行きたいという衝動に駆られてきます。
どうか、それまで元気でいてくださいね。 


ビワハヤヒデのことは、拙HPの「My Memorial Horses」にも、記事を寄せていますので、ご一読くださると嬉しいです。


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06:40 | 種牡馬 | comments (0) | trackbacks (3) | page top↑
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