jpg NEO Sense of Horse Life 種牡馬

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さようなら デュランダル

デュランダル_netkeiba_com
デュランダル 2004年11月 マイルチャンピオンシップ優勝時
by netkeiba.com




2005年11月に現役引退し、種牡馬生活を送っていたデュランダルの訃報が飛び込んできた。

その名の通り、素晴らしい切れ味の短距離王だった。
まだ14歳。
あまりにもあっけなく逝ってしまった。


デュランダルの引退時の記事
こちら


よしだみほさんの描く素敵な

「名刀デュランダル」

さようなら。。。

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23:33 | 種牡馬 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

悲報  アグネスタキオン急逝

AgnesTachyon-Imai-Photo.jpg
Agnes Tachyon  皐月賞 2001
-- 今井壽惠 写真集 「馬に魅せられて-40年の軌跡」 より -- 




アグネスタキオンが、22日夕方に急死というニュースが飛び込んできた。


まだ11歳。
昨年2008年度リーディングサイヤーに輝いた、サンデーサイレンスの後継種牡馬として、
今後の産駒から、どんな計り知れない名馬の出現があるだろうという
物凄い未来を期待していた存在だったのに。。。


死因は、急性心不全と判明したそうだ。
翌、23日に荼毘(だび)に付された。
繋養地だった社台スタリオンSが見える丘に近日中に埋葬されるとのこと。



う~~~ん。。。
なんということ。
絶句。


栗毛の美しい馬
タキオンよ、
安らかに・・・・・

合掌。




以下、JRA-VAN 皐月賞特集〈2008)でのタキオンの紹介文〈全文)を転記しておきます。


光よりも速く アグネスタキオン  2001年 


サンデー後継種牡馬の一番手

 最強牝馬ダイワスカーレットを筆頭に、アドマイヤオーラ、ロジック、ディープスカイなど
重賞ウィナーを続々と送り出しているアグネスタキオン。
種牡馬デビューを果たして間もないが、リーディング・サイアーのランキングでもトップを争い、
いまやサンデーサイレンスの後継一番手にあげられる存在だ。

 そのアグネスタキオンの現役成績は4戦4勝。
 唯一のGI勝ち鞍が2001年の第61回皐月賞である。


良血馬3戦3勝でいざ皐月賞へ

 1998年生まれのアグネスタキオンは、父が大種牡馬サンデーサイレンス、
母は桜花賞馬アグネスフローラ、祖母はオークス勝ち馬アグネスレディーという
ピカピカの血統の持ち主。
おまけに全兄アグネスフライトが2000年の第67回日本ダービーを制覇。
その年にデビューを迎えたアグネスタキオンに寄せられる期待は、
当然のように大きなものとなった。

 第1戦は2歳12月の阪神、芝2000m。
ダービー馬フサイチコンコルドの弟ボーンキング、南関東三冠牝馬ロジータの子リブロードキャスト、
名牝系スターロッチ系の出身でラムタラ産駒のメイショウラムセスなど、
さながら良血馬の見本市ともいうべきこの一戦でアグネスタキオンは、
差して3馬身半突き放す強いレースぶりで勝利する。
2戦目・ラジオたんぱ杯は2馬身半差の勝利で、ジャングルポケットやクロフネといった
後のGIホースを撃破。
弥生賞では後続を5馬身も突き放す圧勝劇を演じる。期待通りの快進撃だ。


危なげない勝利も…

 もちろん皐月賞では単勝オッズ1.3倍の1番人気。
そしてここでもアグネスタキオンは、その期待に応えてみせたのである。

 先行脚質の馬が揃い、ラップこそ速くはなかったものの息の入らない流れとなったレース。
その厳しい流れの真っ只中、好位4~5番手をアグネスタキオンは進む。
4コーナーから早めに仕掛けられると、直線、残り200mで先頭へ。
そして、追い込んできたダンツフレームとジャングルポケットを従えるようにして、
最後は鞍上・河内洋騎手が手綱を緩める余裕すら見せてのゴール。
まったく危なげのない完勝の戴冠式だった。

 三冠制覇も確実といわれた逸材だったが、残念ながら左前浅屈腱炎を発症、
この皐月賞を最後にアグネスタキオンは現役から退くこととなる。

 タキオンとは光よりも速く動くという粒子。
その名前通り、誰よりも速くターフを駆け抜けた名馬だった。





アグネスタキオン Agnes Tachyon

生年月日 : 1998年4月13日
牡 栗毛
生産者 北海道千歳市 社台ファーム
父 サンデーサイレンス  母 アグネスフローラ (ロイヤルスキー)



【現役時の競走成績等】
競走成績 : 4戦4勝
 主な勝鞍 : 2000年 ラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)
        2001年 報知杯弥生賞(GII)
               皐月賞(GI)
              

01:40 | 種牡馬 | comments (0) | trackbacks (1) | page top↑

ラムタラ英国へ

lammtarra1-350.jpg
ラムタラ  英ダービー(1994)
写真提供: JockeySite.com


1996年より日本に輸入され、北海道アロースタッドで
種牡馬生活を送っていた、あのラムタラが、今シーズンの種付けを終えた後、
英国に売却されるというニュース。

ラムタラは、
エプソムダービー(1994)
キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(1994)
凱旋門賞(1995)
のヨーロッパ3冠を無敗で制した、
馬名との連想から「奇跡の名馬」「神の馬」と呼ばれていた、
名馬中の名馬だった。

その勝ち方を改めて見てみると、
まるでディープインパクトのようではないか。
彼の走ったその4レースの競馬場には、”神の衝撃”が走ったのではないかとも思えるような、そんな強い勝ち方だ。
凱旋門賞のとき騎乗したデットーリ騎手が、
「 ライオンハート 」
と賞賛したと言う。

オーナーであるモハメド殿下の
「 もうこれ以上、この馬を走らせる意味はないではないか。 」
という言葉と供に、このレース後まもなく引退し、
英国で一年間種牡馬生活を送ったあと、
シンジケート44億円という鳴り物入りで輸入された。

しかし、同期には飛ぶ鳥落とす勢いのサンデーサイレンスという
大種牡馬が君臨していて、なかなか種付け牝馬に恵まれなかった。
不運だった。
でも、きっとラムタラにとっては、このまま日本に残るより、
英国に戻るほうが幸せなのでは。。。と思ってしまう。 
彼の偉業は、現役時代を過ごし、その彼の素晴らしさを実感している土地の馬たちにこそ受け継がれていくべきだろうし、
そういう人や馬たちに囲まれて過ごすほうが、ずっといいだろうと思える。
それが、どんなに安価な取引であったとしても・・・


14歳になったラムタラ、英国で元気に暮らしてください。


ラムタラ Lammtarra 
1992年2月2日生
栗毛
父 ニジンスキー 父の父 ノーザンダンサー
母 スノウブライド
現役時代は、アラブ首長国連邦の馬主 サイード・マクトゥーム・アル・マクトゥーム氏の持ち馬だった。
ゴドルフィン・レ ーシング所属。
通算成績 4戦4勝。
代表産駒 タニノエタニティ 、タニノディスティニー、メイショウラムセス など。
馬名の意味は、「 神の見えざる手 」


* 7/5 追記
続きを読む
09:46 | 種牡馬 | comments (2) | trackbacks (1) | page top↑

メジロマックイーンが死亡

Mc300.gif
メジロマックイーン 1991
写真提供:RACINGFIELD.com

芦毛の名ステイヤーだったメジロマックイーンが今日の午後5時15分、
繋養先の社台スタリオンステーション荻伏で、亡くなったそうだ。
なんということだろうか・・・
今日は、ホクトベガの命日でもあり、自身の19歳の誕生日だったのに。
死因は、心不全とのこと。

私にとって、メジロマックイーンは、
今をときめく3冠馬のディープインパクト=池江泰郎調教師=武豊騎手
という名スタッフのつながりを、最初に記憶する先輩名馬という位置づけの特別な馬だった。
昨年のディープの活躍する姿を見るたび、マックイーンのことを重ねて思い出していた。
そういう存在だった。

そのマックイーンが亡くなってしまったのだ。

ショックだ。
非常に、ショックだ。

私が競争馬を追いかけ始めた1991年。
その天皇賞・秋の1着入線、18着降着のレース、
最後のG1タイトルの1993年宝塚記念のイクノディクタスとのワンツーフィニッシュのレースなど、
思い出深い一頭だ、本当に本当に。
イクノディクタスとのレース中のロマンスなど、尽きせぬ記憶があふれ出す。
勝負服の白とエメラルドグリーンのツートンカラーとおそろいのメンコをつけてパドックを周回する姿、芦毛とのコントラストがとてもおしゃれだった。

安定した貫禄のメジロマックイーンの芦毛の馬体をもう見ることができないのだという悲しい事実・・・

時の流れは、既に彼の19歳という年齢を持ってして、
私の前に立ちはだかる。。。

生きとし生けるものは、いつか土に還る。
そういう現実。

レース中の事故死も悲しいけれど、牧場で過ごす馬たちの死もまた
こんなにも悲しいものなのだ。。。

当たり前のことが、とてもつらい今日という日。


冥福を祈ります。

記事参照:<メジロマックイーン>名馬死す 春の天皇賞を史上初連覇(毎日新聞)


メジロマックイーン

牡 芦毛 1987/04/03 北海道浦河町生まれ
生産者: 吉田 堅
池江 泰郎(栗東)厩舎所属
主戦騎手: 武豊
1993年11月21日引退
戦跡: 21戦12勝
獲得賞金: 10億14657700円
主な勝鞍: 
1990年:菊花賞(GI)
1991年:阪神大賞典(GII)、天皇賞(春)(GI)、京都大賞典(GII)
1992年:阪神大賞典(GII)、天皇賞(春)(GI)
1993年:産經大阪杯(GII)、宝塚記念(GI)、京都大賞典(GII)


23:07 | 種牡馬 | comments (2) | trackbacks (5) | page top↑

ビワハヤヒデの引退


ビワハヤヒデと岡部騎手 1993
写真提供:RACINGFIELDS.com


北海道、日西牧場で、種牡馬生活を送っていた93年菊花賞、年度代表馬、
ビワハヤヒデが引退というニュース。
びっくりしたとともに、とうとうか・・・という寂しい思いが複雑に交じり合って胸を駆け巡りました。

ビワハヤヒデは、その現役時代、私にとっては、本当に愛すべき馬でした。  
愛嬌のある風貌と優等生的なレース振りから、春のクラシックロードは、シルバーコレクターに甘んじていたハヤヒデ君。 
そういう彼が一皮向けたのは、主戦騎手だった引退した岡部騎手(オカベ先生と”彼”、ビワハヤヒデは呼んでいたように思う・・・笑 )が進言してトレードマークの赤いメンコを(文字通り)脱いで臨んだ、菊花賞前哨戦の神戸新聞杯からでした。 
そして、逞しく変身した彼は、クラシック3冠目の菊花賞を見事に制覇したのです。
私は、この記念すべき彼の悲願の菊花賞のレースを、遠く地球の裏側のパラグアイで知ることになりました。
その年の10月末から、仕事でパラグアイに滞在中だったからです。
気になる彼の秋のこのレースを、リアルタイムで見ることはできなかったけれど、本当に嬉しかったのを覚えています。 
パラグアイの日系ホテルに毎日届く、スポーツ新聞の記事を読んで小躍りしました。
そのくらい、ビワハヤヒデのことは応援していた馬だったのでした。
しかし、その後のトウカイテイオーとの世紀のマッチレースの有馬記念も、 
古馬になってからのハヤヒデの活躍も結局この眼で見ることはかなわず、
私の帰国を待たずに彼は引退してしまいました。

「 気の向く馬馬 」のぜあみさんが、書かれていましたが、
彼は、母パシフィカスの持ち込み馬で、福島の早田牧場本場生まれです。 
その後の早田牧場の運命を知るにつけ、
彼の父系のマイナーな血統のせいもあり、なかなか産駒にも恵まれずに種牡馬生活を送っていたビワハヤヒデが、日西牧場で余生を過ごすことができるということに、安堵の気持ちでいっぱいです。

我が家には、そのビワハヤヒデのトレードマークだった赤いメンコをつけた94年宝塚記念レースの馬番13番の鞍をつけたぬいぐるみが飾ってあります。

彼も今年16歳という年を重ね、もうそんなになるのか・・・という感慨深い思いに襲われます。 
でも、私にとっては、お顔の長いお茶目なハヤヒデ君という3歳のままの彼がずっと心に残っています。 
3冠馬ナリタブライアンの”アニキ”としてではなく、やはり岡部騎手を”センセイ”と呼ぶ、律儀な優等生のハヤヒデ君として、いつまでも愛すべき馬として、この先も私の心の中では、ずっと可愛いビワハヤヒデ君のままでいるのでしょう。

こうして、記事を書き進めていくうちに、結局、私は彼を生で見たことがなかったということに気がつき、今すぐにでもハヤヒデに会いに行きたいという衝動に駆られてきます。
どうか、それまで元気でいてくださいね。 


ビワハヤヒデのことは、拙HPの「My Memorial Horses」にも、記事を寄せていますので、ご一読くださると嬉しいです。


06:40 | 種牡馬 | comments (0) | trackbacks (3) | page top↑
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