++  砂の女王の観戦メモから ++
NEO Sense of Horse Life
ラムタラ英国へ
2006年 07月 04日 (火) 09:46 | 編集
lammtarra1-350.jpg
ラムタラ  英ダービー(1994)
写真提供: JockeySite.com


1996年より日本に輸入され、北海道アロースタッドで
種牡馬生活を送っていた、あのラムタラが、今シーズンの種付けを終えた後、
英国に売却されるというニュース。

ラムタラは、
エプソムダービー(1994)
キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(1994)
凱旋門賞(1995)
のヨーロッパ3冠を無敗で制した、
馬名との連想から「奇跡の名馬」「神の馬」と呼ばれていた、
名馬中の名馬だった。

その勝ち方を改めて見てみると、
まるでディープインパクトのようではないか。
彼の走ったその4レースの競馬場には、”神の衝撃”が走ったのではないかとも思えるような、そんな強い勝ち方だ。
凱旋門賞のとき騎乗したデットーリ騎手が、
「 ライオンハート 」
と賞賛したと言う。

オーナーであるモハメド殿下の
「 もうこれ以上、この馬を走らせる意味はないではないか。 」
という言葉と供に、このレース後まもなく引退し、
英国で一年間種牡馬生活を送ったあと、
シンジケート44億円という鳴り物入りで輸入された。

しかし、同期には飛ぶ鳥落とす勢いのサンデーサイレンスという
大種牡馬が君臨していて、なかなか種付け牝馬に恵まれなかった。
不運だった。
でも、きっとラムタラにとっては、このまま日本に残るより、
英国に戻るほうが幸せなのでは。。。と思ってしまう。 
彼の偉業は、現役時代を過ごし、その彼の素晴らしさを実感している土地の馬たちにこそ受け継がれていくべきだろうし、
そういう人や馬たちに囲まれて過ごすほうが、ずっといいだろうと思える。
それが、どんなに安価な取引であったとしても・・・


14歳になったラムタラ、英国で元気に暮らしてください。


ラムタラ Lammtarra 
1992年2月2日生
栗毛
父 ニジンスキー 父の父 ノーザンダンサー
母 スノウブライド
現役時代は、アラブ首長国連邦の馬主 サイード・マクトゥーム・アル・マクトゥーム氏の持ち馬だった。
ゴドルフィン・レ ーシング所属。
通算成績 4戦4勝。
代表産駒 タニノエタニティ 、タニノディスティニー、メイショウラムセス など。
馬名の意味は、「 神の見えざる手 」


* 7/5 追記
メジロマックイーンが死亡
2006年 04月 03日 (月) 23:07 | 編集
Mc300.gif
メジロマックイーン 1991
写真提供:RACINGFIELD.com

芦毛の名ステイヤーだったメジロマックイーンが今日の午後5時15分、
繋養先の社台スタリオンステーション荻伏で、亡くなったそうだ。
なんということだろうか・・・
今日は、ホクトベガの命日でもあり、自身の19歳の誕生日だったのに。
死因は、心不全とのこと。

私にとって、メジロマックイーンは、
今をときめく3冠馬のディープインパクト=池江泰郎調教師=武豊騎手
という名スタッフのつながりを、最初に記憶する先輩名馬という位置づけの特別な馬だった。
昨年のディープの活躍する姿を見るたび、マックイーンのことを重ねて思い出していた。
そういう存在だった。

そのマックイーンが亡くなってしまったのだ。

ショックだ。
非常に、ショックだ。

私が競争馬を追いかけ始めた1991年。
その天皇賞・秋の1着入線、18着降着のレース、
最後のG1タイトルの1993年宝塚記念のイクノディクタスとのワンツーフィニッシュのレースなど、
思い出深い一頭だ、本当に本当に。
イクノディクタスとのレース中のロマンスなど、尽きせぬ記憶があふれ出す。
勝負服の白とエメラルドグリーンのツートンカラーとおそろいのメンコをつけてパドックを周回する姿、芦毛とのコントラストがとてもおしゃれだった。

安定した貫禄のメジロマックイーンの芦毛の馬体をもう見ることができないのだという悲しい事実・・・

時の流れは、既に彼の19歳という年齢を持ってして、
私の前に立ちはだかる。。。

生きとし生けるものは、いつか土に還る。
そういう現実。

レース中の事故死も悲しいけれど、牧場で過ごす馬たちの死もまた
こんなにも悲しいものなのだ。。。

当たり前のことが、とてもつらい今日という日。


冥福を祈ります。

記事参照:<メジロマックイーン>名馬死す 春の天皇賞を史上初連覇(毎日新聞)


メジロマックイーン

牡 芦毛 1987/04/03 北海道浦河町生まれ
生産者: 吉田 堅
池江 泰郎(栗東)厩舎所属
主戦騎手: 武豊
1993年11月21日引退
戦跡: 21戦12勝
獲得賞金: 10億14657700円
主な勝鞍: 
1990年:菊花賞(GI)
1991年:阪神大賞典(GII)、天皇賞(春)(GI)、京都大賞典(GII)
1992年:阪神大賞典(GII)、天皇賞(春)(GI)
1993年:産經大阪杯(GII)、宝塚記念(GI)、京都大賞典(GII)


ビワハヤヒデの引退
2006年 02月 01日 (水) 06:40 | 編集

ビワハヤヒデと岡部騎手 1993
写真提供:RACINGFIELDS.com


北海道、日西牧場で、種牡馬生活を送っていた93年菊花賞、年度代表馬、
ビワハヤヒデが引退というニュース。
びっくりしたとともに、とうとうか・・・という寂しい思いが複雑に交じり合って胸を駆け巡りました。

ビワハヤヒデは、その現役時代、私にとっては、本当に愛すべき馬でした。  
愛嬌のある風貌と優等生的なレース振りから、春のクラシックロードは、シルバーコレクターに甘んじていたハヤヒデ君。 
そういう彼が一皮向けたのは、主戦騎手だった引退した岡部騎手(オカベ先生と”彼”、ビワハヤヒデは呼んでいたように思う・・・笑 )が進言してトレードマークの赤いメンコを(文字通り)脱いで臨んだ、菊花賞前哨戦の神戸新聞杯からでした。 
そして、逞しく変身した彼は、クラシック3冠目の菊花賞を見事に制覇したのです。
私は、この記念すべき彼の悲願の菊花賞のレースを、遠く地球の裏側のパラグアイで知ることになりました。
その年の10月末から、仕事でパラグアイに滞在中だったからです。
気になる彼の秋のこのレースを、リアルタイムで見ることはできなかったけれど、本当に嬉しかったのを覚えています。 
パラグアイの日系ホテルに毎日届く、スポーツ新聞の記事を読んで小躍りしました。
そのくらい、ビワハヤヒデのことは応援していた馬だったのでした。
しかし、その後のトウカイテイオーとの世紀のマッチレースの有馬記念も、 
古馬になってからのハヤヒデの活躍も結局この眼で見ることはかなわず、
私の帰国を待たずに彼は引退してしまいました。

「 気の向く馬馬 」のぜあみさんが、書かれていましたが、
彼は、母パシフィカスの持ち込み馬で、福島の早田牧場本場生まれです。 
その後の早田牧場の運命を知るにつけ、
彼の父系のマイナーな血統のせいもあり、なかなか産駒にも恵まれずに種牡馬生活を送っていたビワハヤヒデが、日西牧場で余生を過ごすことができるということに、安堵の気持ちでいっぱいです。

我が家には、そのビワハヤヒデのトレードマークだった赤いメンコをつけた94年宝塚記念レースの馬番13番の鞍をつけたぬいぐるみが飾ってあります。

彼も今年16歳という年を重ね、もうそんなになるのか・・・という感慨深い思いに襲われます。 
でも、私にとっては、お顔の長いお茶目なハヤヒデ君という3歳のままの彼がずっと心に残っています。 
3冠馬ナリタブライアンの”アニキ”としてではなく、やはり岡部騎手を”センセイ”と呼ぶ、律儀な優等生のハヤヒデ君として、いつまでも愛すべき馬として、この先も私の心の中では、ずっと可愛いビワハヤヒデ君のままでいるのでしょう。

こうして、記事を書き進めていくうちに、結局、私は彼を生で見たことがなかったということに気がつき、今すぐにでもハヤヒデに会いに行きたいという衝動に駆られてきます。
どうか、それまで元気でいてくださいね。 


ビワハヤヒデのことは、拙HPの「My Memorial Horses」にも、記事を寄せていますので、ご一読くださると嬉しいです。


ナリタトップロード逝く
2005年 11月 11日 (金) 23:28 | 編集

弥生賞 1999
写真提供:RACINGFIELDS.com


天皇賞の回顧No.2を書こうとしたら、
急に、我が家のインターネットが不通になってしまいました。
それで、しばらくネット生活から遠ざかっていました。
その間に、競走馬の世界で、たくさんのビッグニュースが伝わってきました。
その一つが、99年の菊花賞馬、ナリタトップロードの急死。
11月7日のことでした。
言葉になりませんでした・・・
今年始めに、膀胱結石が見つかり、その治療を続けていたといいます。
10月8日に、その結石を取り除く手術を受けて、順調に回復に向かっていたというのに・・・
直接の死因は心不全だったそうだけれど、その前に、せん痛を起こしているからなぁ・・・
「せん痛」は、馬にとってはなかなか厄介な病気です。
過去にもこれが原因で、多くの名馬が亡くなっています。
同期のあのアドマイヤベガも同じ原因で亡くなっていますから。
なんとも残念です。

ナリタトップロードは、このアドマイヤベガ、テイエムオペラオーと並んだ
3強の96年世代の一番長く現役生活を続けた、栗毛の美しい馬でした。
多くのファンがいました。

我が家にかけてある馬カレンダーの中でも、牧場を勇ましく駆けている彼の姿があります。

ついこの前、アドマイヤベガの一周忌の話をしていたところだった矢先の悲報です。

約10日ほど、ブログの更新が出来ずにいて、
今夜久し振りにこの「 NEO Sense of Horse Life 」を開けて、
テンプレートをクリスマスバージョンにかえようとして、
ふと、流れてくるBGMの 「アメージング・グレース」の曲に、
改めて悲しみがあふれ出てきて、涙してしまいました。

こういった名馬の死を耳にする度に思うことは、
助けられなかった大切な命のことです。
自分の職業である獣医師という立場上、もの凄い無念さが沸いてきます。
決して管理していたスタッフ、獣医師団が力不足と言うことではなく、
「馬」という生きものの余りにも繊細さ、脆さということをでしょうか。
なぜ、助けられなかったのか・・・
そういう無念さです。

治療法、管理法の進歩にも踏み込めない、追いつけることの出来ない
「馬」という生物の余りにも深く遠い畏怖の命のメカニズムというものを
感じずにいられないし、
なお一層、何故助けることが出来なかったのだろうか。
何故、防ぐことが出来ないのだろうか・・・
そういう自問自答です。

これから先、どんな人が馬の臨床の世界に足を踏み入れて行くにしても
どうかどうか、こういう不幸な馬の死を防ぐことが出来るよう、
天寿をまっとうできるよう
馬の生理学、馬の予防学、臨床治療の技術の進歩を願わずにはいられません。


ナリタトップロード
1996年4月4日生まれ
父サッカーボーイ 母フローラルマジック
まだ9歳、早すぎる死でした。

どうか安らかに。
イナリワンの種牡馬引退
2005年 06月 18日 (土) 15:14 | 編集
18-inariwan1.jpg
写真提供:日刊競馬

春の東京開催が終了し、いよいよ夏競馬開催ですね。
そして、来週は宝塚記念です。

そんな今週の競馬界の動き、いろいろありました。

ディアデラノビアの骨折判明で、アメリカンオークス参戦を断念であるとか。
アメリカで繁殖生活を送っていたシーキングザパールの急死とか。
大種牡馬リファールの死亡とか。

他にも、特筆すべきニュースがありますが、週末になって落ち着いて記事をまとめようと思い立ち、競馬ニュースを読んでいると、
イナリワンらが種牡馬を引退”( netkeiba.com より )
という記事を見つけました。

イナリワンと一緒に、地方競馬の” 岩手の怪物 ”トウケイニセイ、北関東の雄カヌマオペラオーが種牡馬生活を引退しました。
奇しくも、3頭とも地方(出身)馬。
とくに、イナリワンは、中央に転厩後の活躍が目覚しく、1989年の年度代表馬に輝いている馬でした。風雲児とも呼ばれるほどの気性の激しかったイナリワンでしたが、それゆえの成績だったのかもしれません。 ど根性の[地]の心意気を感じる馬でした。

折りしも、南関東2冠を達成していたシーチャリオット( 骨折判明で休養中 )の活躍も期待されているように、地方競馬を盛り上げてきた各馬たち。

お疲れ様でした。
今後は、ゆっくり余生を楽しんでくださいネ。


関連記事:
日刊競馬で振り返る名馬/イナリワン


イナリワン
父馬 ミルジョージ 母馬 テイトヤシマ 母父馬 ラークスパー
生年月日 1984. 5. 7 (21歳)
生産地 北海道門別 生産者 山本実儀
性別 牡
毛色 鹿毛
調教師 福永二三雄(大井)
鈴木清(美浦北)
馬主 保手浜弘規
競走成績 地方14戦9勝 中央11戦3勝
獲得賞金 509,326,000円
受賞歴 1989年 JRA賞年度代表馬
主な戦績
1989 天皇賞・春
1989 宝塚記念
1989 有馬記念
1990年 引退
主な産駒 ツキフクオー イナリコンコルド シグナスヒーロー




copyright (C) NEO Sense of Horse Life all rights reserved.
designed by polepole...